清教徒革命の原因 - 人口増加(上)
清教徒革命(ピューリタン革命、三王国戦争、以下略)の原因は色々ありすぎるけど、この本でモリル*1が注目しているのは人口の増加です。Stuart Britainから「なか見」で見れるところを一部訳出してみました。わからずに飛ばしてるところとか、なんかこんな感じでいいやーってやってるところとかいっぱいあります。
*1 清教徒革命を語る上で重要度Aな人。
経済面・社会面・政治面の影響は重大である。1640年までの100年間に、人口は農業生産以上の増加を見せた。その結果、ひとつは各地で偶発的な食糧危機がたびたび生じ、飢饉に陥って死者が出ることもあった。16世紀末から17世紀初頭にかけての食糧危機で、おそらくロンドン市民たちのなかにも、飢饉の犠牲者になった者がいたであろう。1620年代のカンブリア*2地方はさらに深刻で相当数が餓死に追いやられた。その後、農業生産の向上や信用制度の発達・交通の改良があり、さらに人口の偏りが緩和され、食糧事情はいくらかましになり、すくなくともイングランドでは飢饉の脅威はしだいに遠のいた。ヨーロッパ大陸ではいまだ食糧事情はひどかったが、とりあえずはイングランドは飢饉の時代から抜け出しつつあった。
人口増加の、より注目すべき影響は、価格革命とよばれる物価の騰貴である。食料品の値段が1500年〜1640年の間に8倍に上昇したのに比して、収入の増加は3倍にとどまっていた。いわゆる第一次産業外の人びとにとってはきつい時代だったろう。賃労働が徐々に広まりつつあった当時において、食糧価格の高騰は生活水準の低下をそのまま意味した。じっさい、人口のかなりの部分──おそらく過半──は食糧を購入せねばならず、多数の買い手による売り手市場は、さらに価格を押し上げた。穀物取引の統制・監督は、いまや政府の関心が集まる中心にあった。中央・地方の行政組織は、凶作が起こっても持ちこたえられる在庫と仕組みづくりに躍起になった。
食糧事情の悪化以外にもまだある。土地である。人が増えたということは、ひとつの家庭からふたつ以上の家庭が枝分かれしたことを意味する。相続遺産が分配されれば、当然ながら一人当たりの取り分は減る。長男にまるまる相続されれば、それ以外の子らは自前で生計を立てねばならない。農業生産物の価格が高いために、それまで農業に適さないと思われていた土地にも鋤が入れられた。とはいっても17世紀初頭の時点で農業生産が期待できる土地はすでにほとんど農地になっており、残った土地といえば森林や湿地などである。このような土地を農業に活かすといってもたかが知れていた。湿地を乾燥させて畑にするのも森林を切りひらくのも、経済的に高くつくだけでなく、無駄な投資になる危険もあり、さらに人びとの生活が湿地や森林に依存してもいた。人びとを犠牲にする開発を強行するか、ひもじさに耐えるか、政府はたびたび究極の選択に迫られていた。
*2

カンブリアはこのへん。Wikimedia Commonsより。
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ありがとう。
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> 経済的に高くつくでなく、
それにしても開発は文明社会のネックですね。
それにしても開発は文明社会のネックですね。
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