覚書き:ホイッグ史観/ウィッグ史観
資料が揃えば投稿する予定だけれども、さしあたりホイッグ史観とは何ぞや、ということを書いておこうと思う。
ようするに進歩史観、勝利者史観である。イギリス帝国華やかなりしころは、王権の抑制と議会の権限拡張を主導したホイッグが、都合よく自分たちの歴史を書いたそのパラダイムがホイッグ史観である。ジェームズ2世(1633-1701)はカトリック専制主義を目指したとして、またジョージ3世(1738-1820)は積極的に政治に参加してホイッグのヒンシュクを買って、歴史的悪役にするわけだ。かわって名誉革命やマグナ・カルタは歴史的偉業であり、ウィリアム3世(1650-1702)はオランダという自分の領地をかえりみずイングランドをカトリックの魔の手から救った、selfless heroなわけだ。ここまでなら、話はそう難しくない。

やっかいなのは、ホイッグ史観の特質をみていくと、クーンのパラダイム論や通約不可能性にまで射程を拡げないといけなくなりそうなことだ。ちょびっとずつ、なるべく平易に書いてみる。
まず勝利者史観・進歩史観。これは科学万能主義、啓蒙思想とかと通底するかもしれない。とにかく人類は発展・改善されつづけるのであり、科学と文明によって愚かで不幸なことは次第になくなっていくという考え方だ。モダニズムっていうのかな。マルクス主義史観も進歩史観という点ではいっしょで、じっさいホイッグ史観と激しい対立はあまりないっぽい。
これがどういうことを導くか。まず国や地域ごとに進歩の度合いをヨーロッパを尺度にはかることにつながる。アジアやアフリカは遅れた国であり、すすんで教化しなければならないとする。奴隷制や植民地支配の正当化の論理にも援用できる。
つぎに、歴史上の人物を、現代の価値観をもって断罪するという側面も有する。歴史家は裁判官のごとしである。17世紀中ごろには物騒な急進思想であったホイッグ主義(議会が王よりも上であるという考え方)は、先見性のあるすぐれた考えであり、当時の保守主義は愚かで蒙昧というわけだ。
こうした価値観が崩れるのは、数学や物理学からのようだ。ミヒャエル・エンデの文明批判はつとに有名だけれども、それを遡ること半世紀、20世紀初頭に非ユークリッド幾何学や量子論、また特殊相対性理論(だったっけか)が発表され、そこからクーンのパラダイム/通約不可能という概念が提唱されるにいたる。
クーンによれば、科学革命によって、その前後では同じ概念を共有することができない(通約不可能)ということらしい。これは単線的な進歩史観・科学万能主義にたいする重大な挑戦だったわけだ。
ホイッグ史観に対しても1931年、ハーバード・バタフィールドが批判を展開する。進歩史観や歴史家が現代の価値観を過去に持ちこんで議論することは的外れであると。
これはイギリス帝国の動揺と時代を一にする。イギリス植民地帝国は1930年代から崩壊を始め、戦後、特に1960年代に植民地諸国の独立をみる。イギリスの国際的地位は急速に低下した。
進歩などとはおこがましい。もはやホイッグ史観は、その用をなさなかった。
けれども最近、といってもここ20年くらいのスパンだけれども、ネオ=ホイッグが出てくる。ウィリアム・スペック、財政軍事国家論のジョン・ブリュアなどなど。
うーんまとまるのはいつの日になることやら。
ようするに進歩史観、勝利者史観である。イギリス帝国華やかなりしころは、王権の抑制と議会の権限拡張を主導したホイッグが、都合よく自分たちの歴史を書いたそのパラダイムがホイッグ史観である。ジェームズ2世(1633-1701)はカトリック専制主義を目指したとして、またジョージ3世(1738-1820)は積極的に政治に参加してホイッグのヒンシュクを買って、歴史的悪役にするわけだ。かわって名誉革命やマグナ・カルタは歴史的偉業であり、ウィリアム3世(1650-1702)はオランダという自分の領地をかえりみずイングランドをカトリックの魔の手から救った、selfless heroなわけだ。ここまでなら、話はそう難しくない。

やっかいなのは、ホイッグ史観の特質をみていくと、クーンのパラダイム論や通約不可能性にまで射程を拡げないといけなくなりそうなことだ。ちょびっとずつ、なるべく平易に書いてみる。
まず勝利者史観・進歩史観。これは科学万能主義、啓蒙思想とかと通底するかもしれない。とにかく人類は発展・改善されつづけるのであり、科学と文明によって愚かで不幸なことは次第になくなっていくという考え方だ。モダニズムっていうのかな。マルクス主義史観も進歩史観という点ではいっしょで、じっさいホイッグ史観と激しい対立はあまりないっぽい。
これがどういうことを導くか。まず国や地域ごとに進歩の度合いをヨーロッパを尺度にはかることにつながる。アジアやアフリカは遅れた国であり、すすんで教化しなければならないとする。奴隷制や植民地支配の正当化の論理にも援用できる。
つぎに、歴史上の人物を、現代の価値観をもって断罪するという側面も有する。歴史家は裁判官のごとしである。17世紀中ごろには物騒な急進思想であったホイッグ主義(議会が王よりも上であるという考え方)は、先見性のあるすぐれた考えであり、当時の保守主義は愚かで蒙昧というわけだ。
こうした価値観が崩れるのは、数学や物理学からのようだ。ミヒャエル・エンデの文明批判はつとに有名だけれども、それを遡ること半世紀、20世紀初頭に非ユークリッド幾何学や量子論、また特殊相対性理論(だったっけか)が発表され、そこからクーンのパラダイム/通約不可能という概念が提唱されるにいたる。
クーンによれば、科学革命によって、その前後では同じ概念を共有することができない(通約不可能)ということらしい。これは単線的な進歩史観・科学万能主義にたいする重大な挑戦だったわけだ。
ホイッグ史観に対しても1931年、ハーバード・バタフィールドが批判を展開する。進歩史観や歴史家が現代の価値観を過去に持ちこんで議論することは的外れであると。
これはイギリス帝国の動揺と時代を一にする。イギリス植民地帝国は1930年代から崩壊を始め、戦後、特に1960年代に植民地諸国の独立をみる。イギリスの国際的地位は急速に低下した。
進歩などとはおこがましい。もはやホイッグ史観は、その用をなさなかった。
けれども最近、といってもここ20年くらいのスパンだけれども、ネオ=ホイッグが出てくる。ウィリアム・スペック、財政軍事国家論のジョン・ブリュアなどなど。
うーんまとまるのはいつの日になることやら。
Comment
そりゃそうだ
けれども、それを言っちゃあおしめえよってなもんか。
補足。
ホイッグ史観は進歩史観・科学万能主義の象徴でもあったわけだけれども、それはもうひとつ無視できない側面もある。歴史全体を法則・ストーリーに基づいて記述するため、つじつまの合わない事象が無視・軽視されるということだ。たとえば「グレンコーの虐殺」とか。エドマンド・バークはそういうのを無視して、フランス革命の狂乱を批判したことになる。じっさい名誉革命前の歴史観はトーリ史観などともいわれるけれども、そのなかではマグナ・カルタは無視されるか、さらっと触れて終わりという書きかただった。いまの歴史学では、過去のできごとは過去の価値観でみるべきであるとする。クーンのいうところの「パラダイム」が異なるから、というところか。
補足。
ホイッグ史観は進歩史観・科学万能主義の象徴でもあったわけだけれども、それはもうひとつ無視できない側面もある。歴史全体を法則・ストーリーに基づいて記述するため、つじつまの合わない事象が無視・軽視されるということだ。たとえば「グレンコーの虐殺」とか。エドマンド・バークはそういうのを無視して、フランス革命の狂乱を批判したことになる。じっさい名誉革命前の歴史観はトーリ史観などともいわれるけれども、そのなかではマグナ・カルタは無視されるか、さらっと触れて終わりという書きかただった。いまの歴史学では、過去のできごとは過去の価値観でみるべきであるとする。クーンのいうところの「パラダイム」が異なるから、というところか。
まとまるのは
人類が滅んだときに強制終了といつもさういふふうに考へてしまふ私。
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勉強になります。
クーンのパラダイム論など、村上陽一郎先生の「科学哲学」の授業を思い出しました。
個人的にはバークの歴史観に興味があります。
どのような歴史的事象を拾い上げるかによって、「時効」が成立しているかどうかは異なるはずだ、と前々から疑問に思っていたので。