17世紀イングランド宗教事情
とある人物記事を書いてるんだけど、宗教的なことはけっこう重要らしい。カトリック対プロテスタントならまだしも、プロテスタント内でもいろいろある。日本人にはこういう対立はなじみが薄いだろうし、私もよくわからない。メモ書きがわりに表組みのホームページを見ながら作ってみた。違ってるかも、というかたぶんに間違いもあると思われるのでご容赦のほどを。
| カテゴリ | ものすごくおおざっぱな説明 | 支持層など | |
|---|---|---|---|
| カトリック | イタリアの教皇(法王?)をトップとするヒエラルキー構造。 | アイルランドなど少数 | |
| 国教会 | 高教会派 | カトリック教会との歴史的連続性とか、洗礼・正餐を強調する派 | トーリ |
| 広教会派 | 教義とかの許容度が広い | トーリ/ 穏健ホイッグ | |
| 非国 教会 プロ テス タン ト | 長老派 | 各教会の平信徒の代表=長老が集まっていろいろ決める式。間接民主制みたいな感じ? | 急進ホイッグ |
| 再洗礼派 | 生まれてすぐの洗礼は無意味として、大人になってから洗礼する派 | 急進ホイッグ | |
| 会衆派 | 直接民主制みたいなのと思う。清教徒革命時の独立派。日本では組合教会。 | ? | |
| レヴェラーズ | 政治的民主主義をとなえた人たち。当時は危険分子 | 急進ホイッグといえなくもない鴨 | |
保守という唯一の選択
ホイッグ史観は文学・芸術におけるロマン主義に通じるところがある。歴史のストーリーを始めに組み立て、そこからつじつまの合う出来事をピックアップしたり解釈し直したりして物語を形成するという手法だ。この代表的人物はなんといってもマコーレーだが、バークやカーライルも外せない。

トマス・バビントン・マコーレー
この3人には共通点がある。生粋のイングランド人はひとりもいないという点だ。マコーレーは名前の通りスコットランド氏族(Aula アウラ氏族と読むのかな)出身、バークはアイルランド出身、そしてカーライルもスコットランド人である。

エドマンド・バーク
この事実から去来するのは、太平洋戦争における日系アメリカ人兵士のことだ。かれらは自分たちがアメリカ人であることを示すため、白人兵士よりも愛国的に戦ったとか。

トマス・カーライル
生粋でない者がコミュニティに認められるためには、一般的である以上にそのコミュニティ「らしさ」が求められる。もちろんイギリス帝国の繁栄のなかで、アイルランドやスコットランドもブリテンの構成要員としてブリテン意識を持っていたという側面もあると思う。
私がいいたかったのは、マコーレーやバークといった半分外の人間は、強くブリティッシュネスを打ち出す必要があった、すなわち保守に回らざるをえなかったのではないかという点だ。
翻って今、イギリス帝国の面影はほとんど残っていない。スコットランド人で「ブリティッシュである」と感じている人は少数派らしい。アイルランドにいたってはいまだにプロテスタント(ブリテン=イングランド系)・カトリック(アイルランド系)間でモメている。イギリス帝国の絶頂期にいたスコットランド人と、現代のスコットランド人、はたして幸せなのはどっちなんだろうか。

トマス・バビントン・マコーレー
この3人には共通点がある。生粋のイングランド人はひとりもいないという点だ。マコーレーは名前の通りスコットランド氏族(Aula アウラ氏族と読むのかな)出身、バークはアイルランド出身、そしてカーライルもスコットランド人である。

エドマンド・バーク
この事実から去来するのは、太平洋戦争における日系アメリカ人兵士のことだ。かれらは自分たちがアメリカ人であることを示すため、白人兵士よりも愛国的に戦ったとか。

トマス・カーライル
生粋でない者がコミュニティに認められるためには、一般的である以上にそのコミュニティ「らしさ」が求められる。もちろんイギリス帝国の繁栄のなかで、アイルランドやスコットランドもブリテンの構成要員としてブリテン意識を持っていたという側面もあると思う。
私がいいたかったのは、マコーレーやバークといった半分外の人間は、強くブリティッシュネスを打ち出す必要があった、すなわち保守に回らざるをえなかったのではないかという点だ。
翻って今、イギリス帝国の面影はほとんど残っていない。スコットランド人で「ブリティッシュである」と感じている人は少数派らしい。アイルランドにいたってはいまだにプロテスタント(ブリテン=イングランド系)・カトリック(アイルランド系)間でモメている。イギリス帝国の絶頂期にいたスコットランド人と、現代のスコットランド人、はたして幸せなのはどっちなんだろうか。
ホイッグ史観の日本への流入〜徳富蘇峰と竹越三叉
ホイッグ史観全盛の時代は、ちょうど日本が西洋の文物を取り入れようとしていた頃でもあった。福沢諭吉がホイッグ史家であったことはつとに有名だけれども、それだけでは終わらない。トマス・カーライルの影響を受けた平田久や内村鑑三などの名があがるけれども、わけても国民新聞をつくった徳富蘇峰・竹越三叉は外せない。ホイッグ史家の元祖ともいうべきトマス・バビントン・マコーレーの著作を翻訳して出版、さらに各地で講読した。竹越は「格朗?」←クロムウェルと読むらしいが、これを出版している。
ブリテン連合王国が「イギリス」と名付けられ理想化され、近代化の手本となったのはこうした経緯による。それから120年ほどたった現在、日本人はいまだにこのイギリス観を払拭できていない。
いっぽうで、ホイッグ史観・進歩史観を悪と決めつけるのはどうかと思う。それじたいはひとつの歴史解釈のありかたであり、歴史的機能をはたしもした。さんざんに批判されているが、こうした批判を認識してあたるならまあいいんじゃないだろうか。
ブリテン連合王国が「イギリス」と名付けられ理想化され、近代化の手本となったのはこうした経緯による。それから120年ほどたった現在、日本人はいまだにこのイギリス観を払拭できていない。
いっぽうで、ホイッグ史観・進歩史観を悪と決めつけるのはどうかと思う。それじたいはひとつの歴史解釈のありかたであり、歴史的機能をはたしもした。さんざんに批判されているが、こうした批判を認識してあたるならまあいいんじゃないだろうか。
イギリス史における「保守」とエドマンド・バーク
さて、ホイッグ史観の続きである。
ホイッグ史観を語るうえで外せない人物は何人かいるけれども、エドマンド・バークもそのひとりといえるだろう。バークの生きた時代はホイッグ主義が確立され、留保条件つきながらも政党ができつつあった。
彼は著書「フランス革命の省察」のなかで、名誉革命は一新したのではなく、旧に復したのであると言った、らしい。革命なのに旧に復したとはこれ一体いかに。では、革命をあらわす英語revolutionのコアイメージを見てみよう。

revolutionには、reがつくくらいだし、一回転してもとに戻るというコアイメージがある。天体の公転を思い浮かべてもらえると分かりやすいかも知れない。ここで重要なのは、昔が公転対極にあるということだ。もう半回転すればもとに戻るという発想だ。revolutionは、新しい体制に生まれ変わることを意味しない。
旧に復することがGlorious(名誉)というわけだ。名誉革命直後からGlorious Revolutionという語は使われ始め、18世紀中ごろには歴史家も使い始める、とどっかで書いた気がする。
ホイッグ史観の重鎮エドワード・クックも過去崇拝の志向が強く、マグナ・カルタを名誉革命と関連づけ、歴史上の連続性の強調と起源の探求を行った。
なぜ急進思想であったはずのホイッグ主義が、保守に入れ替わったのか。じっさい、ホイッグ史観全盛の19世紀にあっても、ホイッグ党は旧に復する動きをしていない。
これは印象、あくまで印象だけれど、保守に対する憧れがあったのではなかろうか。保守とはすなわち正統・王道を意味し、保守であると主張しなければならなかった。
ところで、バークはアメリカ独立戦争においてアメリカに同情的だったけれども、フランス革命は批判した。アメリカとフランスの違いはどこにあるのか。「フランス革命の省察」あとがきを読むかぎりでは、バークはもともとフランスを好きでなかったという感じのようだ。これは歴史的に英仏関係は悪かったので納得できる。ようするにフランス革命がどのような変遷をたどるにせよ、イギリス人に評価されることはありえなかったと言ってしまってもいいかもしれない。
ホイッグ史観を語るうえで外せない人物は何人かいるけれども、エドマンド・バークもそのひとりといえるだろう。バークの生きた時代はホイッグ主義が確立され、留保条件つきながらも政党ができつつあった。
彼は著書「フランス革命の省察」のなかで、名誉革命は一新したのではなく、旧に復したのであると言った、らしい。革命なのに旧に復したとはこれ一体いかに。では、革命をあらわす英語revolutionのコアイメージを見てみよう。

revolutionには、reがつくくらいだし、一回転してもとに戻るというコアイメージがある。天体の公転を思い浮かべてもらえると分かりやすいかも知れない。ここで重要なのは、昔が公転対極にあるということだ。もう半回転すればもとに戻るという発想だ。revolutionは、新しい体制に生まれ変わることを意味しない。
旧に復することがGlorious(名誉)というわけだ。名誉革命直後からGlorious Revolutionという語は使われ始め、18世紀中ごろには歴史家も使い始める、とどっかで書いた気がする。
ホイッグ史観の重鎮エドワード・クックも過去崇拝の志向が強く、マグナ・カルタを名誉革命と関連づけ、歴史上の連続性の強調と起源の探求を行った。
なぜ急進思想であったはずのホイッグ主義が、保守に入れ替わったのか。じっさい、ホイッグ史観全盛の19世紀にあっても、ホイッグ党は旧に復する動きをしていない。
これは印象、あくまで印象だけれど、保守に対する憧れがあったのではなかろうか。保守とはすなわち正統・王道を意味し、保守であると主張しなければならなかった。
ところで、バークはアメリカ独立戦争においてアメリカに同情的だったけれども、フランス革命は批判した。アメリカとフランスの違いはどこにあるのか。「フランス革命の省察」あとがきを読むかぎりでは、バークはもともとフランスを好きでなかったという感じのようだ。これは歴史的に英仏関係は悪かったので納得できる。ようするにフランス革命がどのような変遷をたどるにせよ、イギリス人に評価されることはありえなかったと言ってしまってもいいかもしれない。
覚書き:ホイッグ史観/ウィッグ史観
資料が揃えば投稿する予定だけれども、さしあたりホイッグ史観とは何ぞや、ということを書いておこうと思う。
ようするに進歩史観、勝利者史観である。イギリス帝国華やかなりしころは、王権の抑制と議会の権限拡張を主導したホイッグが、都合よく自分たちの歴史を書いたそのパラダイムがホイッグ史観である。ジェームズ2世(1633-1701)はカトリック専制主義を目指したとして、またジョージ3世(1738-1820)は積極的に政治に参加してホイッグのヒンシュクを買って、歴史的悪役にするわけだ。かわって名誉革命やマグナ・カルタは歴史的偉業であり、ウィリアム3世(1650-1702)はオランダという自分の領地をかえりみずイングランドをカトリックの魔の手から救った、selfless heroなわけだ。ここまでなら、話はそう難しくない。

やっかいなのは、ホイッグ史観の特質をみていくと、クーンのパラダイム論や通約不可能性にまで射程を拡げないといけなくなりそうなことだ。ちょびっとずつ、なるべく平易に書いてみる。
まず勝利者史観・進歩史観。これは科学万能主義、啓蒙思想とかと通底するかもしれない。とにかく人類は発展・改善されつづけるのであり、科学と文明によって愚かで不幸なことは次第になくなっていくという考え方だ。モダニズムっていうのかな。マルクス主義史観も進歩史観という点ではいっしょで、じっさいホイッグ史観と激しい対立はあまりないっぽい。
これがどういうことを導くか。まず国や地域ごとに進歩の度合いをヨーロッパを尺度にはかることにつながる。アジアやアフリカは遅れた国であり、すすんで教化しなければならないとする。奴隷制や植民地支配の正当化の論理にも援用できる。
つぎに、歴史上の人物を、現代の価値観をもって断罪するという側面も有する。歴史家は裁判官のごとしである。17世紀中ごろには物騒な急進思想であったホイッグ主義(議会が王よりも上であるという考え方)は、先見性のあるすぐれた考えであり、当時の保守主義は愚かで蒙昧というわけだ。
こうした価値観が崩れるのは、数学や物理学からのようだ。ミヒャエル・エンデの文明批判はつとに有名だけれども、それを遡ること半世紀、20世紀初頭に非ユークリッド幾何学や量子論、また特殊相対性理論(だったっけか)が発表され、そこからクーンのパラダイム/通約不可能という概念が提唱されるにいたる。
クーンによれば、科学革命によって、その前後では同じ概念を共有することができない(通約不可能)ということらしい。これは単線的な進歩史観・科学万能主義にたいする重大な挑戦だったわけだ。
ホイッグ史観に対しても1931年、ハーバード・バタフィールドが批判を展開する。進歩史観や歴史家が現代の価値観を過去に持ちこんで議論することは的外れであると。
これはイギリス帝国の動揺と時代を一にする。イギリス植民地帝国は1930年代から崩壊を始め、戦後、特に1960年代に植民地諸国の独立をみる。イギリスの国際的地位は急速に低下した。
進歩などとはおこがましい。もはやホイッグ史観は、その用をなさなかった。
けれども最近、といってもここ20年くらいのスパンだけれども、ネオ=ホイッグが出てくる。ウィリアム・スペック、財政軍事国家論のジョン・ブリュアなどなど。
うーんまとまるのはいつの日になることやら。
ようするに進歩史観、勝利者史観である。イギリス帝国華やかなりしころは、王権の抑制と議会の権限拡張を主導したホイッグが、都合よく自分たちの歴史を書いたそのパラダイムがホイッグ史観である。ジェームズ2世(1633-1701)はカトリック専制主義を目指したとして、またジョージ3世(1738-1820)は積極的に政治に参加してホイッグのヒンシュクを買って、歴史的悪役にするわけだ。かわって名誉革命やマグナ・カルタは歴史的偉業であり、ウィリアム3世(1650-1702)はオランダという自分の領地をかえりみずイングランドをカトリックの魔の手から救った、selfless heroなわけだ。ここまでなら、話はそう難しくない。

やっかいなのは、ホイッグ史観の特質をみていくと、クーンのパラダイム論や通約不可能性にまで射程を拡げないといけなくなりそうなことだ。ちょびっとずつ、なるべく平易に書いてみる。
まず勝利者史観・進歩史観。これは科学万能主義、啓蒙思想とかと通底するかもしれない。とにかく人類は発展・改善されつづけるのであり、科学と文明によって愚かで不幸なことは次第になくなっていくという考え方だ。モダニズムっていうのかな。マルクス主義史観も進歩史観という点ではいっしょで、じっさいホイッグ史観と激しい対立はあまりないっぽい。
これがどういうことを導くか。まず国や地域ごとに進歩の度合いをヨーロッパを尺度にはかることにつながる。アジアやアフリカは遅れた国であり、すすんで教化しなければならないとする。奴隷制や植民地支配の正当化の論理にも援用できる。
つぎに、歴史上の人物を、現代の価値観をもって断罪するという側面も有する。歴史家は裁判官のごとしである。17世紀中ごろには物騒な急進思想であったホイッグ主義(議会が王よりも上であるという考え方)は、先見性のあるすぐれた考えであり、当時の保守主義は愚かで蒙昧というわけだ。
こうした価値観が崩れるのは、数学や物理学からのようだ。ミヒャエル・エンデの文明批判はつとに有名だけれども、それを遡ること半世紀、20世紀初頭に非ユークリッド幾何学や量子論、また特殊相対性理論(だったっけか)が発表され、そこからクーンのパラダイム/通約不可能という概念が提唱されるにいたる。
クーンによれば、科学革命によって、その前後では同じ概念を共有することができない(通約不可能)ということらしい。これは単線的な進歩史観・科学万能主義にたいする重大な挑戦だったわけだ。
ホイッグ史観に対しても1931年、ハーバード・バタフィールドが批判を展開する。進歩史観や歴史家が現代の価値観を過去に持ちこんで議論することは的外れであると。
これはイギリス帝国の動揺と時代を一にする。イギリス植民地帝国は1930年代から崩壊を始め、戦後、特に1960年代に植民地諸国の独立をみる。イギリスの国際的地位は急速に低下した。
進歩などとはおこがましい。もはやホイッグ史観は、その用をなさなかった。
けれども最近、といってもここ20年くらいのスパンだけれども、ネオ=ホイッグが出てくる。ウィリアム・スペック、財政軍事国家論のジョン・ブリュアなどなど。
うーんまとまるのはいつの日になることやら。
ジェームズ7世および2世(4)&イギリスの国旗について
ジェームズ2世をようやく書き終えた。なんか細部でどうかな〜的なところもあるけど。査読依頼に出したので、分かりにくいところ、「それ違うだろ」的なところがあれば、どんどんダメ出しください。ご意見絶賛募集中です。特に、予備知識のない人にも読めるようになってるか、不安です。
歴史学界の動きが教科書に反映されるのは、どういうわけかものすごーく遅い。いったい何がどうなっているのかわからんけど。
そういえば、ワールドカップでイングランドがなんで

ではなく

を使うのか、知らない人もいるかも、と指摘いただいて思ったので、語ってみる。
イングランドの国旗は白地に赤十字、セントジョージ十字だ。守護聖人ゲオルギウスに因むものらしい。いっぽう、スコットランドの国旗は本来、

である。こちらはセント・アンドリュース十字。スコットランドの守護聖人アンデレがもとになっている。
で二つの王国が1707年合併するとき、セント・ジョージとセントアンドリュースを合わせて、今のイギリス国旗になった次第だ(ほんとはもうちょっとこまかいが、ここでは端折ることにする)。スコットランド人からすれば、セントアンドリュース十字の上をセント・ジョージ十字がぶった切っているわけで、面白くないことらしい。
北欧の国旗も十字形のが多いけど、たぶん守護聖人関係と思う。たぶん。
てな感じで、国旗ひとつとっても、両国はいまだにモメている。大西洋の小さな島に、安寧の日はやってくるのだろうか。
歴史学界の動きが教科書に反映されるのは、どういうわけかものすごーく遅い。いったい何がどうなっているのかわからんけど。
そういえば、ワールドカップでイングランドがなんで

ではなく

を使うのか、知らない人もいるかも、と指摘いただいて思ったので、語ってみる。
イングランドの国旗は白地に赤十字、セントジョージ十字だ。守護聖人ゲオルギウスに因むものらしい。いっぽう、スコットランドの国旗は本来、

である。こちらはセント・アンドリュース十字。スコットランドの守護聖人アンデレがもとになっている。
で二つの王国が1707年合併するとき、セント・ジョージとセントアンドリュースを合わせて、今のイギリス国旗になった次第だ(ほんとはもうちょっとこまかいが、ここでは端折ることにする)。スコットランド人からすれば、セントアンドリュース十字の上をセント・ジョージ十字がぶった切っているわけで、面白くないことらしい。
北欧の国旗も十字形のが多いけど、たぶん守護聖人関係と思う。たぶん。
てな感じで、国旗ひとつとっても、両国はいまだにモメている。大西洋の小さな島に、安寧の日はやってくるのだろうか。
ジェームズ7世および2世(3)専制君主?
ジェームズが絶対王政をめざした専制君主であったか否か。これが名誉革命をめぐる争点のひとつになっている。YESであれば、ジェームズの評価が下がるとともに、ウィリアムはイングランドを絶対主義の恐怖から救った英雄となる。NOであれば、名誉革命は、既得権を守ろうとしたアングリカンと、対フランス戦争の戦略上イングランドを味方に引き入れたウィリアムの利己的な行為ということになる。

ジェームズは軍備を増強しようとした。そしてカトリック信仰で、ルイ14世と友好な関係にあった。これだけみればなるほど、専制君主かもしれない。そのいっぽうで、文官・武官の職を、イングランド国教会信徒のみに限っていたのを、カトリックやピューリタンにも門戸を開こうとした。
ネオ=ホイッグの歴史家たちの間では、いまだにジェームズは悪役だが、それは厳しい批判にさらされてもいる。ジョン・ミラーによれば、ジェームズはイングランドにおける信仰の自由───国教会信仰だけでなく、あらゆる信仰の自由───を実現しようとしただけだったのだ、ということである。同時に、若き日の経験などから、人を敵か味方かで切り分けてしまい、是々非々的にものごとを対処することができなかったとも。
いまのところは、私にはミラーの主張が、表面に出た事象を正確に説明できるように思われる。ジェームズ像をさぐる旅は、いまだ道半ばである。

ジェームズは軍備を増強しようとした。そしてカトリック信仰で、ルイ14世と友好な関係にあった。これだけみればなるほど、専制君主かもしれない。そのいっぽうで、文官・武官の職を、イングランド国教会信徒のみに限っていたのを、カトリックやピューリタンにも門戸を開こうとした。
ネオ=ホイッグの歴史家たちの間では、いまだにジェームズは悪役だが、それは厳しい批判にさらされてもいる。ジョン・ミラーによれば、ジェームズはイングランドにおける信仰の自由───国教会信仰だけでなく、あらゆる信仰の自由───を実現しようとしただけだったのだ、ということである。同時に、若き日の経験などから、人を敵か味方かで切り分けてしまい、是々非々的にものごとを対処することができなかったとも。
いまのところは、私にはミラーの主張が、表面に出た事象を正確に説明できるように思われる。ジェームズ像をさぐる旅は、いまだ道半ばである。
ジェームズ7世および2世(2)
名誉革命によって王座から逐われたジェームズ2世。いままでの解釈は、カトリック絶対王政をイングランドに布こうとして、革命を招いたことになっている。基本的に歴史上の悪役である。こういうホイッグ史観的ジェームズ像は、いまでは厳しく批判されている。
以下、覚書き。

イングランド史のなかで感じるのは、病的なまでのカトリックへの偏見である。いまでもイギリスでは、カトリックへの就職差別なんかがあるらしいが(北アイルランド問題とかで敏感なのかも)、カトリックというだけでマイナスの偏見があることを計算に入れないといけない。
イングランド史のなかでの宗教勢力を、いささか乱暴に3分類するとこうなる。
1.カトリック────法王を頂点とするヒエラルキー組織
2.イングランド国教会(アングリカン)──カンタベリ大司教を頂点とするヒエラルキー組織
3.非国教徒(ピューリタン、長老派)──基本的に民主的組織
2は1と3の折衷、といってしまってもいいかもしれない。ジェームズは1だったわけだが、これは3だけでなく2からも敵視されてたわけだ。いっぽう、イングランドで官職を事実上独占していた2が、1や3を利権から締め出すという側面も、名誉革命にはあった。既得権を守ったわけだ。
今日はこれくらいにしときます。ではまた。
以下、覚書き。

イングランド史のなかで感じるのは、病的なまでのカトリックへの偏見である。いまでもイギリスでは、カトリックへの就職差別なんかがあるらしいが(北アイルランド問題とかで敏感なのかも)、カトリックというだけでマイナスの偏見があることを計算に入れないといけない。
イングランド史のなかでの宗教勢力を、いささか乱暴に3分類するとこうなる。
1.カトリック────法王を頂点とするヒエラルキー組織
2.イングランド国教会(アングリカン)──カンタベリ大司教を頂点とするヒエラルキー組織
3.非国教徒(ピューリタン、長老派)──基本的に民主的組織
2は1と3の折衷、といってしまってもいいかもしれない。ジェームズは1だったわけだが、これは3だけでなく2からも敵視されてたわけだ。いっぽう、イングランドで官職を事実上独占していた2が、1や3を利権から締め出すという側面も、名誉革命にはあった。既得権を守ったわけだ。
今日はこれくらいにしときます。ではまた。
ジェームズ7世および2世
ジェームズ7世および2世は、ご当地では人気がないらしい。カトリックはイングランドでは敵ということになっているようだ。
王につく前は、軍指揮官として有能なところを示し、当時の爵位であったヨーク公にちなんで北アメリカ大陸の街にニューヨークという地名がつけられた。
映画「クロムウェル」「エリザベス」でもそうだったけど、カトリックはなぜか悪役である。実際プロテスタントにしても、どっちもどっちなんだけど。
ジェームズに関して、日本語でまともな著作はたぶんない。John Millerの「James II」がいちばんポピュラーかな。
それにしたって、ネオ=ホイッグから反論が起きている。まあミラーはこの反論について「300年前に言われていたことを今蒸し返している」と一蹴しているみたいだけど。ジェームズは保守派の歴史家たちにとっては、悪役でいつづけなければならないようだ。色々読んでいくうちに、そうでもなさそうな感じはしてるんだけれども。
王につく前は、軍指揮官として有能なところを示し、当時の爵位であったヨーク公にちなんで北アメリカ大陸の街にニューヨークという地名がつけられた。
映画「クロムウェル」「エリザベス」でもそうだったけど、カトリックはなぜか悪役である。実際プロテスタントにしても、どっちもどっちなんだけど。
ジェームズに関して、日本語でまともな著作はたぶんない。John Millerの「James II」がいちばんポピュラーかな。
それにしたって、ネオ=ホイッグから反論が起きている。まあミラーはこの反論について「300年前に言われていたことを今蒸し返している」と一蹴しているみたいだけど。ジェームズは保守派の歴史家たちにとっては、悪役でいつづけなければならないようだ。色々読んでいくうちに、そうでもなさそうな感じはしてるんだけれども。
名誉革命
またまたウィキペディアに投稿(正確には大幅加筆)しようと企んでいるのだが、どうやらとてつもない大事件だと認識を新たにしている。
いままで多少ナメてかかっていたが、それは勉強不足なだけだった。経緯もさることながら、原因の根っこの深さ、結果の甚大さ、そして歴史学的論争。この4つが4つとも、殺人的な規模だ。洋書の1冊や2冊ではどうにもならない。いち若輩がおいそれと書けることではない。
といって、歴史学者がウィキペディアに本腰を入れて参加してくれる状態にはまだない。あえて「まだ」をつけておきたい。その下地をつくるためにも、いままで周辺記事を迂回してきたが、革命の本丸に斬り込まなければ。
いまのところ気がついた点を、いくつかメモっておこう。
1. 革命は神話mythとなり、一新したのではなく、イングランドのよき伝統を守ったのであるという着想(ex.エドマンド・バーク)が1950sまで主流だったこと。
2. ロンドンでは急進的思想が、三王国戦争のころから続いていたこと。このコンテクストにおいて、ふたつの革命は一定の関連をもって語られるべきであること。
3. イングランドの法の支配の伝統Ancient Lawと、急進的Radical思想に通底する点があること。
4. スコットランドにも革命支持の勢力があったこと。これと関連して、信仰面などから国外退去や亡命した人々が、革命支持のメディア戦をしかけたこと。
5. 革命にGloriousという形容詞がついたのは、かなり早い時期であること。そしてそれは歴史家ではなく、政治家(?)によって編み出されたこと。
6. 革命じたいは急進左派が起こしたが、時代がくだると革命は保守派の神話mythになったこと。(see 1.)
まだまだ出てくるだろうけど、いま思いついただけでこれくらいか。さて、また英語読むか…。
いままで多少ナメてかかっていたが、それは勉強不足なだけだった。経緯もさることながら、原因の根っこの深さ、結果の甚大さ、そして歴史学的論争。この4つが4つとも、殺人的な規模だ。洋書の1冊や2冊ではどうにもならない。いち若輩がおいそれと書けることではない。
といって、歴史学者がウィキペディアに本腰を入れて参加してくれる状態にはまだない。あえて「まだ」をつけておきたい。その下地をつくるためにも、いままで周辺記事を迂回してきたが、革命の本丸に斬り込まなければ。
いまのところ気がついた点を、いくつかメモっておこう。
1. 革命は神話mythとなり、一新したのではなく、イングランドのよき伝統を守ったのであるという着想(ex.エドマンド・バーク)が1950sまで主流だったこと。
2. ロンドンでは急進的思想が、三王国戦争のころから続いていたこと。このコンテクストにおいて、ふたつの革命は一定の関連をもって語られるべきであること。
3. イングランドの法の支配の伝統Ancient Lawと、急進的Radical思想に通底する点があること。
4. スコットランドにも革命支持の勢力があったこと。これと関連して、信仰面などから国外退去や亡命した人々が、革命支持のメディア戦をしかけたこと。
5. 革命にGloriousという形容詞がついたのは、かなり早い時期であること。そしてそれは歴史家ではなく、政治家(?)によって編み出されたこと。
6. 革命じたいは急進左派が起こしたが、時代がくだると革命は保守派の神話mythになったこと。(see 1.)
まだまだ出てくるだろうけど、いま思いついただけでこれくらいか。さて、また英語読むか…。
グレンコー虐殺事件
グレンコーの虐殺を投稿する。名誉革命の周辺をいろいろつまみ食いしているが、出てくるのはネガティブなものが多い。
歴史は勝者によって記述される。従来の名誉革命観が勝利者によるものである面が強い以上、当然といえば当然かもしれない。歴史学は、その勝者バイアスを取り除く試みともいえるかもしれない。
イングランドをけなすつもりがあるわけでもない。かりにスコットランドが勝利者になっていても、むごさという点では同じようなことになっていただろう。
話を思いきり飛躍させると、かりに東アジアで、日本ではなく中国や韓国が勝利者になっていれば、同様の惨劇があったことと思う。
べつに批判する気はない。歴史上、強さと残忍さは比例するようである。じっさい、殺した人数でいえば、オウム真理教よりもキリスト教のほうが遥かにまさる。
強大さっつうのを、別の方向から考えてみるのもいいかもしれない。
歴史は勝者によって記述される。従来の名誉革命観が勝利者によるものである面が強い以上、当然といえば当然かもしれない。歴史学は、その勝者バイアスを取り除く試みともいえるかもしれない。
イングランドをけなすつもりがあるわけでもない。かりにスコットランドが勝利者になっていても、むごさという点では同じようなことになっていただろう。
話を思いきり飛躍させると、かりに東アジアで、日本ではなく中国や韓国が勝利者になっていれば、同様の惨劇があったことと思う。
べつに批判する気はない。歴史上、強さと残忍さは比例するようである。じっさい、殺した人数でいえば、オウム真理教よりもキリスト教のほうが遥かにまさる。
強大さっつうのを、別の方向から考えてみるのもいいかもしれない。



